ルワンダ難民国際救援隊

 

☆ ここの写真は無断転用を禁じます。 ☆ 航空自衛官であった私はPKO組織の一員として平成6年9月にアフリカのルワンダへ100日間ほど国際援助協力に行って来ました。その時の写真です。


NO. 現地写真集 説明
1  ギブンバの難民キャンプ内にて。子供達は本当に無邪気である。日本のマークを付けた軍服の私たちを見ると「ジャパニー」と笑顔で近寄ってくる。
 皆裸足であるが、地面は便や汚物などで汚染されており、この頃まではコレラによって一日千人単位で死亡していた。(写真中央は著者)
2  これはケニア空港での写真である。難民キャンプ内は特に軍服を着ている以上、非常に危険である。キャンプに行くときにはさらに防弾チョッキを着用して行き、小銃は絶対にはなせない。
 しかし、他の難民援助を行うNGO組織などは皆私服で武器など持っていない。(たとえ軍人でも)このあたりの考え方が日本人が国際社会のなかで孤立するゆえんでもある。単に援助のためなのなら武器はいらない。
 軍服と武器はかえって他の国の援助組織から煙たがられた。「キャンプに援助にくるなら軍服は脱げ」と。(銃を持っているのが著者)
3  難民キャンプ内の写真である。トヨタの1千万円もするという高機動車に群がる難民。ごらんのように広大な土地もビニルシートのテントで密集している。
 このときは国連によってほとんど全てのテントにビニールシートが渡っていたが、それまではみんな雨に濡れながら昼夜を過ごすという生活をしていた。
 援助物資はなかなか渡らず、手術で使用し、焼却処分を頼んだ血液つきのディスポ(紙)手術衣も彼らにとっては宝物らしく、これはラッキーとばかりに着て歩いているのを目撃したりもした。
4  ゴマキャンプ内の医療施設。ほかの宿泊もすべてテントである。医療器材は高度な医療ができるものを十分に持っていった。
 また、難民用に大量の医療器材をザイールのゴマ病院に持ち込んだのであるが、X線フィルムや検査用器具等は我々の援助のためものであるにもかかわらず、現地の医師は自分たちの診療のために使用し、おまけに高い費用代を患者に請求しているのを発見したため、即病院から回収したこともあった。
 赤道直下ではあるが、夜はストーブが欲しいほど温度は下がり湿度も高い。
5  難民キャンプ内にNGOによって設置された簡易トイレ。まわりは申し訳程度に囲われてはいるが、これはましなほうである。
 ほとんどのものは囲いもなく、排泄物がすぐにいっぱいになってしまうため、雨によってあふれ出し、不潔な環境を助長させる。当然皆裸足なのである。
6  ゴマキャンプからケニア、あるいは日本へ電話をかけることが出来るインマルサット衛星使用の通信機器。これがないと自衛隊は孤立してしまう。
 しかしこれさえあれば、地球上どこからでも電話が通じる。NTTからお借りしたもの。(写真は著者)
7  当時物議を醸し出した装甲車に装備の1台のみの機関銃。頭のかたい平和に浸った国会議員の連中により、1台しかもっていけなかったものである。
 実際には、機関銃は両側から交互に援助しながら使うものなのである。なぜなら長時間うち続けることはできず、高熱による故障とと弾丸切れが待っているからだ。
 そうなったときにもう一台がないと部隊は全滅してしまう。紙の上でしか話のできない、わからずやの代議士連中のおかげで、我々はいつそんなときがくるのかと怯えながら過ごした。


<論文:災害時の大量傷病者発生訓練の必要性について>



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