著者の海外における大量傷病者発生の経験から、現在の日本におけるお役所仕事に対しての意見です。
著者: 看護師・救急救命士
救命士免許取得年月日 : 平成4年6月3日(第1回)
岐阜県立衛生専門学校(第二看護学科)卒業
題目 : 救急救命士としての行政への提言
それはある病院施設の仮設テントの中の事である。目の前には多くの傷病者がひしめき合って横たわっており、中には死亡している者さえいるようであった。手榴弾により足がない者、熱でうなされている者、ただ衰弱し、うつろな目で空間をみつめている者・・。衛生状態は最悪であり、酷い異臭さえ漂っていた。
それは2年前、私がまだ消防吏員となる前、当時自衛官だった私が、アフリカのルワンダ難民医療援助隊に看護士として参加した時の事である。
そしてそこで見たものは、多発する病気、毎日のように発生する地雷や手榴弾、銃撃による大量傷病者の発生であり、こんな事が連日続いて、沢山の人々がなすすべもなく亡くなっていく現状を目にした。
また、帰国すると間もなく、阪神大震災があり、さらに地下鉄サリン事件など多くの大量傷病者発生の惨事が続いた。そしてちょうどその頃、私は救命士免許を活かすために消防の道に転身してきたのである。
さて、消防に転身してまず思ったこと。消防を含めて行政機関はこのような集団災害時における初期対応が当然のように責務となっている。そのために常日頃から検討し、訓練等を重ねている訳であるが、その中で大量死傷者発生時の対応の事で言いたい事がある。
行政でも集団災害訓練というのは一応は実施されているのだが、それは実に形式的であり、実効性がはなはだ疑問なのだ。
例えば、あらかじめ大腿骨骨折などと負傷箇所の決まった傷病者を、それこそ、マニュアルどおりに処置して搬送だけしているというのが現状なのではないだろうか。
実際そんな訓練では殆ど役に立たないのだ。本当の災害現場では、軽症者が我先にと救急車両に群がり、明らかに死んでいても家族が運んでくれとすがりつく。その対応だけでトリアージさえままならないのである。
東京消防庁の報告で、地震の時、足を瓦礫に挟まれた若い男性が元気に返事をしていたのに、助け出したとたんに心臓が止まり、そのまま亡くなってしまったという例があったそうである。私も同じような例を何例か見たことがあるが、これは挫滅組織からのK流出による心停止であり、おそらくこの他にも、震災時にはこんな例が沢山あったのだろうと推測出来る。これも救助者が高K血症を予測して、止血帯をしっかりかけてから救出搬送していれば、最悪の事態だけは防げたかもしれない。
さらに現場ではトリアージという大きな問題がある。例の大震災の時にも、家族がどうしても連れていってくれというので、救命もおぼつかないような患者を5時間かけて大阪まで搬送した例があったそうである。当事者ではないので明確な理由はわからないが、それだけ時間があればもっと救命の可能性のある人達に色々な事が出来たのではないかという気がする。
これからの消防機関や行政は単なる形式だけの集団災害訓練ではなく、まず専門家が負傷状況をその場で付与して、評価し、さらに指導までするといった、本当に有効な訓練を行って行くかなければならないのである。こういった訓練は、アメリカでは当然のことなのであるが、日本で実際に専門的な訓練を行っているのはまだ一部の先進的な病院と自衛隊だけのようである。
普段からの集団災害時における高度救急、救助技術の修得は、救助隊員や救急救命士だけではなく、消防関係者全員、さらに行政の職員までもが前向きに対応していかなければならないものである。
私も今後各機関に集団災害事故対策を訴えていきたいと考えている。ぜひこの文を読んでいる皆さんも、改めてお考え頂きたい。もし次に私たちの住んでいる地域で大きな災害が起こった時、同じような被害がでてきたなら、貴い犠牲者の命や、いままでの検討及び訓練は何だったのかという事になりかねない。
よく災害は忘れた頃にやってくると言われるが、最近の災害は、忘れないうちにやってくるのである。
この文を発表した後、私の管内において集団災害トリアージ訓練を実施することができました。ぜひ見て下さい。
集団災害訓練 =プレホスピタルにおける本格的救急処置訓練とトリアージ=
(抜粋)
それでは、本当の意味で集団災害訓練というものはどういうものでなければならないのか。今回、岐阜県中濃消防組合管内で従来の「見せるための展示訓練」ではなく、医療面から見た部分を交えた、より実践的な集団災害訓練を行ったのでここに紹介する。